先日、小林麻央さんが亡くなられたとの訃報が入り、メディアでも大きく取り上げられました。
夫の市川海老蔵さんは舞台の公演中にも関わらず記者会見を開き胸の内を語られましたが、その後もまた舞台に戻りその役者魂は多くのファンの心を打ちました。
奥さんを持つ多くの男性も色々と考えさせられるものがあったニュースでしたが、そんな悲しいニュースがあった数日後に私のプライベートでは妻が誕生日を迎えました。
今回はこの二つのできごとを通して思ったことを書き綴っていきたいと思います。
目次
小林麻央の訃報と妻の誕生日に思うブログを書く意味
小林麻央さんの訃報が流れる前、市川海老蔵さんは「今日の午後に重要な会見をおこなう」とブログで麻央さんが亡くなったことを暗示させるかのようなことを書かれていました。
自らそのように書くことで家族の住むもとにメディアが押しかけないようにしてほしい、会見前におこなわれる舞台が終わるまでは舞台に集中させてほしいといった色々な思いがあったことだろうと思います。
海老蔵さんはブログを頻繁に更新されることでとても有名ですが、そんな時でも朝の更新から当日の舞台前、そして会見後まで止まることなく更新されていてある種の驚きもありました。
当日舞台を休むことなく終えられたこともすごいですが、悲しみの中で短い言葉ながらもリアルタイムで近況を伝えられていたのはすごかったですね。
また、海老蔵さんと同じように麻央さんも闘病の様子を頻繁にブログで更新されていました。
夫婦ともブログの更新は頻繁に
普通だったらそんな気力ももうないだろうと思うかもしれませんし、もうブログはいいから家族だけの時間を大切にしてくださいといった声もありましたが、
この夫婦にとってブログというのは読者に向けてという意味だけでなく、二人にとっての生きた証を残す特別なものだったのかもしれません。
私は日頃このサイト以外にも色々な記事を書いたりしていますが、書くことってものすごく自分の中にあるものが宿っている気がするんですよね。
自分が書くんだから当たり前と言えば当たり前なのですが、口に出して何かを話したりするよりもより深い核心的な部分であったり書くことだからこそ表現できるものがあるように思います。
それがこのサイトの記事のように情報発信用の記事だったとしても、たとえ自分自身がアフィリエイト用に稼ぐ記事だったとしても自分自身で書いたものというのは何かしら自分の断片を散りばめていくような要素があるのではないかと。
残された時間を生きた証に
小林麻央さんの訃報の後に迎えた妻の誕生日ですが、これを書きながら私も何か生きた証を残せるだろうかとふと考えさせられました。
情報発信というのは自分のフィルターを通して何かを伝えていく作業になるわけですが、たとえがっつりビジネスのことでもプライベートなことでも何かを発信していることには変わりありません。
ビジネス的に見れば、なかには本当に他愛のない文章だったりもするわけですが、妻が読む場合はそうした文章の方がかえって心により響くものだったりするかもしれません。
残された時間をどれだけ濃く生きるか、何を残すのかということを考えながらまたこれからも色々なことを書き綴っていくのだなと思います。
誕生日祝のデザートに乗ったろうそくを見ながら私の内なる炎もまた静かに燃えてきました。
人の一生はいつ何のきっかけで途切れることになるかはわからない。
だからこそ後悔のないようにしっかりと生きた証を残しながら歩みたいと思います。
今日の最後はこの曲で。
ということで、今回は少しいつもと少し違ったテイストでしたが小林麻央さんの訃報と妻の誕生日を迎えて思ったことを徒然なるままに書き綴ってみました。
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